
スピリチュアルの目覚めや覚醒には、無から生まれた「光」をはじめ創造主との一体となり「ずっと高い何かの自分(ワンネス)」などがあります。
「全治を知り、真理を解き、未来や過去、テレパシー、時空の位置、宇宙と神」などの視野や範囲が拡がります。
目覚めや覚醒により「幸福感」を感じることでしょう。
個人により解釈は異なりますが、「一部は全部、全部は一部、雨のしずくは海であり、海は雲であり、私でありずっと高いなにかのあなた」です。
さらに、すべての起きる「兆候・兆し」を「許容し、可能にしようとする」私という有る肉体から綴られた一部を紹介します。
結論は、許容し可能にすればするほど「すべては空、空の空。色即是空 空即是色」を肉体を通じ体験できます。
許容し、可能にすることにより純粋な「目覚めと覚醒」に近づくことでしょう。
時間を忘れ、ただ有る温もりに身を任せ読み進んでいただければ、幸いです☺︎
1.スピリチュアルの覚醒の兆し

まずは、覚醒や目覚めについて簡単に紹介していきます。
①覚醒とはなにか?
「覚醒」を辞書で調べるとこのような意味です。
以上のように覚醒は「目覚め」と同じ意味であり、過ちや迷いを知ることです。
②覚醒の意味≒「悟り」
「覚醒」や「目覚め」と似た言葉に「悟り」があります。
スピリチュアルでは「覚醒」や「目覚め」であり、仏教では「悟り」と言葉を変化しました。
真理は、いつも普遍であり変わることはありません。
時代や空間を超え「根源的な宇宙」「神(中心アメノミナカヌシ・アッラーなど)」「仏(大日如来)」「気」「絶対無限の存在」と千の名を持つ真理はかわらないように。
③目覚めの兆候≒「許容」
そんな「変化」しない真理ですが、兆候や兆しは人によって感覚が違いますよね。
しかし、「肉体的・精神的」の変化を通し「感覚」で違うように思うだけですべては同じです。
変化を受け入れるために「抵抗」が生まれます。
この抵抗を「エゴ」とつけましょう。
自分の中にある「変わりたくない」や「このままの自我いい」などのように自分を自分として存在し続けようとします。
そのエゴから、「苦しみ」として現実化していきます。
一部は全部で連動しているからです。
要するに「自分我」という「我」を創れば作るほど「苦しみ」を学べるわけです。
実は、目覚めや兆候は「苦しみ」を許容するだけです。
恐怖心や不安感、執着を知りただ許容し目の前を生きる。
その時に、苦しみが生まれる場合は許容できるか試されている。
これが、「兆候」や「兆し」です。
④許容できない理由≒「エゴ」
許容できなくてもなんの問題もありません。また、因果が巡り「苦しみ」を与えてくれます。
他人に対しても、一緒です。
あの人は、苦しんで許容するのを学んでいる。
そうやって、いろんな「苦しみ」を許容し「差を取る」と、光が見え「無」について、肉体が有りながら「無」を知ることができます。
「楽しく、尊い」有ることの難しさを知る「有難うの冒険」ができます。
2.スピリチュアル:覚醒と目覚めの「兆し・兆候」

エゴの試しが「兆候」「兆し」です。
私も「怠惰さ」というエゴが未だに有ります。
怠惰の抵抗を許容せず放置すると、「苦しく」なり無気力になります。
けど、しっかり向き合えば「怠惰さ」の理解が深まります。
前兆や兆しからなる成長や向上「差を取る」ことになります。
「覚醒への道」がふかまることでしょう。
そんな「苦しみ」の試しを「精神・肉待的」指標があると許容しやすいです。
「お前の道はそっちでないだろう」と、感情を通じ問いかけてくれます。
いくつかの具体的な兆候や兆しを紹介します。
①内側(精神)の兆候や兆し
兆しは、温かい感情です。
それ以外は無風に感じます。
抵抗としての苦しみがあっても、それすらも幸せになります。
- 安心してリラックスしている
- 胸騒ぎや虫の知らせが来る
- 願い事を忘れる
- 周りの幸せを素直に喜べる
②外側(肉体)の兆候や兆し
内は外ですから、当然「肉体的兆候や兆し」も変化します。
幸せジワ、艶などが外見も輝くことでしょう。
- 笑顔やラッキーが増える
- 肌の艶がでる
- 爆睡できる
- 感謝されることが増える
- シンクロニシティが起こる
③兆し・兆候から成る共通点
「内は外、外は内」です。
そして、覚醒や目覚めに共通していることに以下のようなものが挙げられます。
- 魂と自分にも気が付く
- 魂と肉体のギャップに気が付く
- 意識の膨大さを発見する
- 目に見えないもの力
- 物質次元と精神次元の発見
- ワンネス
- (肉体と魂の)エネルギーが統合すること
- 両極を知ったうえで自分に選択肢があるとわかること etc…
3.有る限り覚醒の兆しは永遠

覚醒者として、あなたはどのような人を思い描きますか?
「イエス?ブッダ?ソクラテス」などをはじめさまざまでしょう。
けど、その説いている真理はいつも同じです。
「肉体→精神→一部は全部、全部は一部(全てあるものは愛)→無」です。
「生(有)が有り、死(無)が有る」ように真理は、時代・場所が変わろうと決して変わることのないすべてです。
ただ、この「無い」を「有る」ことで伝えることはできません。
小説家や偉人はよく「10段階」の最後に「死」にて表現します。
生きている間は、永遠に解け学び「抵抗」を許容できます。
まだ、できることが有るのです。
その有ることの難しい「永遠の冒険」を楽しんであなたも生きてみてはいかがでしょうか?
4.まとめ:【スピリチュアルな覚醒の兆し】

「兆候」や「兆し」は、人によってさまざまな形として現れます。
その理由は、あなたとしてのあなただけの「有る」というバリエーションから「コントラス」が生まれ「無」について知れるから。
だから、絶対に同じ時同じ場所はない。
けど、やることは「苦しみ」の「感情」を「許容」する。
すれば、因果のめぐりが変わり違う「苦しみ」でまた肉体を通じ体験できます。
肉体を通じ体験できる永遠を受け入れると、光が現れ次なる一部の有る光と一体になっていき「ずっと高い何か」に近づけるでしょう。
そのためにこうやって今日も綴っている私なのでした。
以上最後まで読んでいただき有難う御座位ます。

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