
神様は奇跡を起こし続けている。
その証拠に、神様に喧嘩を売った私にも奇跡を起こし続けるからだ。
やっぱり神様は人間と同じように「愛がある人」や「輝いていて行動する人が好き」だ。
書いている私も神や仏、氣の一部であり、読んでいるあなたも神や仏、氣の一部であり、愛そのものであり、全てなのだ。
以下の記事「神様にケンカを売った」に記したとおり「神様の奇跡が起こる」と私は唱えたことがない。
併せて読んでもらえば、理解度が深まるはずだ。
神様は、人間の形をした「天使」でもなければ、和やかな姿の「仏」でもない。
氣そのものなのだから、一つの形で収まるわけがない。
海の水は、一つずつは原子の塊「H2O」+「NaCL」+「α」だが、それが集合して大海原になる。
そのような大海原を全て見ることは不可能だろう。
神や仏、氣も然り、更に壮大で宇宙や地球上に収まるわけがない。
だが、常に内からも外からも存在する。
全ては、愛として。
以上の記事では、アファメーションがメインだったが、今回はその続編「好転反応」について記す。
今回も前回同様、神様に「喧嘩」を売っていく。
特に以下のような人におすすめだ。
1.「神様の奇跡が起こる」と唱えずとも「奇跡は起こり続ける」

神様は奇跡を起こし続けている。
「奇跡」を、だれにもでも起し続けている。
これからの説明で、奇跡を起こし続けていることがよくわかるだろう。
あなたがいくら「神様が奇跡を起こす」と唱えていても「心地良くない感情」でいるのであれば、「心地よくない感情」が還ってくる。
それが、法則だ。
与えたものを与え続ける、なんともシンプルな法則だ。
「神様の奇跡が起こる?」ふざけるな!ドブにも捨ててしまえ。
と、唱えたことのない私にも「感謝」をすれば「感謝」が還ってくる。
これが神様(氣)のスゴイところで、完璧なのだ。
私という一部が、想像し創造したら間違いなく「空気」も創れないし、生物の一つも創れない。
分裂してそれを調和させ空気を吸える。
一体どれだけの「スゴイこと」か「感謝」しかない。
その一部である私や読者が、自分にばかり「奇跡が起きたい」と思って「神様の奇跡が起きる」と唱え、「なんで叶えてくれないの?」と「不平」を言う滑稽だ。
私やあなたに「不平」という奇跡をみせてくれる。
一部として「循環」しているのだから、「感謝をし、愛のある行動」で輝いていれば、感謝が還っていく。
その結果が、「感謝」の奇跡なのだ。
神社も参拝し、「私の願いを叶えてください」と唱えて叶った人をあまりみたことがない。
少しだけ、考え方を変え参拝し金銭の循環をよくし多くの人が潤う。
私は金銭の循環でき、パワースポットを維持に貢献している。
パワースポットが有ることに「感謝」していれば「感謝」という奇跡が起きるだろう。
鏡のように、「有ること」全てを魅せてくれるのだ。
そのことを分かっているから、神社には参拝する場所に鏡が置いてある。
あなたの出したものが、あなたに還える「奇跡」を起こし続けているのだ。
2.喧嘩を売っても「神様の奇跡が起きている」証拠

度重なるが、私は「神様の奇跡が起こる」と唱えていない。
けど、どうやって人の役に立てるかは考えている。
その結果、「【神様の奇跡が起こる】アファメーション!神に喧嘩を売りました」が生まれた。
その中で述べたとおり、自分の中で重要なのは「心地よさ」なのだ。
そして、案の定「神様の奇跡が起こる」と唱えなくても「奇跡」を起こしてくれた。
ケンカを売っても証拠を魅せてくれる。
その奇跡の一つが「閲覧数」だ。
「神様の奇跡が起こる」という検索ワードがバズった。
以下の画像のとおり「月500人以上」に見られるようになった。

たった「500人に見られる記事が証拠?」と思うかも知れないが、「500人に」見られる記事が、100あれば、日本の平均年収を超えるくらいの収入になる。
そして自慢がしたいわけでなく、誰でも奇跡が起き続けていることを紹介したいのだ。
どれだけの奇跡をお越してくれているか分かっていただきたいのと、読んでくれる読者に感謝をしたい。
そして、「神様の奇跡が起こる」を唱えても、唱えなくても一人ずつの感情がそのまま還っていく。
神様は唱える人よりも「愛のある人」や「輝いている行動する人が好き」である私たちやあなたと同じである。
神や仏は、私たちの一部である証拠だ。
神は常に内からも外からも現れ、「愛」の「全て」なのだから。
3.「好転反応」当たり前から感謝に変わる

好転反応は実は一つだ。
あなたの心地よさからくる「氣」づきだ。
例えば、身近にいる人に不平不満を言いたくなるだろう。
「あの家族」「あの上司」でなければ、私は幸せだ。
けど、両親がいて乳(ミルクでも)を分け与えてあなたは大きくなったはずだ。
それが有るときから、当たり前になる。
けど、当たり前なことのはずがない。
もし、両親がいなければあなたは生まれていないのだ。
食べることもできず餓死をしていたはずだ。
有ることに感謝ができるはずだ。
ごはんを食べさせてくれたこと。
空気が吸えること。
一体どれだけ私たちに必要なことを与えてくれているのだろう。
その与えられていることに「感謝」を使わず、不平不満を使う。
その切替のために「言霊」「神様の奇跡が起こる」なのだ。
ただ私は神様というものを「氣」や「無限の存在」に思っている。
なので、「神様の奇跡が起こる」と唱えない。
さらに、言うならばお経も同じで読むことばかりになるからだ。
唱えさえすれば、叶えてくれる。
そして、叶わなかったときに「どうして神や仏は私の願いを叶えてくれないのでしょう」とつぶやく。
常に、内にも外にもいる全てであるから、自分にも外にも全てに感謝なのだ。
「感謝」になれば「感謝」の奇跡を起こし続けてくれるだろう。
この文章だってそうだ。
わざわざ検索して、多くの人が読者また見てくれる。
「神様の奇跡が起こる」と唱えなくても、出している波動があなたでありそのまま還っていくのだから。
「好転反応」は、当たり前の中にある「氣」づきだ。感謝することだ。
その感謝から、感謝の「奇跡」が現れる。
- 体が元氣になる
- 金銭的な循環が良くなる
- 人間関係に恵まれる
- 仕事に恵まれる
以上のような、目の見える形で好転するのだ。
恵まれたことに、感謝するのだから、感謝の奇跡を起こし続けてくれる。
だから、今も私は「神様の奇跡が起こる」と唱えず喧嘩を売れることに感謝している。
4.まとめ:【神様の奇跡が起こる】好転反応!神に喧嘩を売りました②

感謝をしていれば、気分がよくなるだろう。
それこそが神様が奇跡を起こし続けている理由であり好転反応だ。
感情のナビゲーションで、この世を楽しむようにできている。
反対に、不平不満に浸ればたくさんの苦しみをくれる。
やることに差がない。悟りだ。
この記事を通じ「神様の奇跡が起こる」と唱えなくても、奇跡を起こしてくれる証拠であり、
また、感謝の奇跡の好転反応が良く理解できたのであれば私もあなたも幸いなうえ、これ以上感謝できることはない。
以上最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。


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